石橋正彦裏話
ペテン師石橋こと、杜沢泰文(現・杜沢たいぶん)様が掲示板に書いてくれている
裏話をお借りしている写真と共に再掲載しています。
 
石橋正彦裏話その6  投稿日:2008年 2月 1日(金)16時05分24秒

 石橋正彦3回目の登場は福井の巻前・後編でした。網元の親方の役で私の大好きな名喜劇役者「人見きよし」大先輩と確か同室にさせて頂いたと思う。人見先輩の同時代の人のこと(「渥美清」さん「関敬六」さんなど)沢山聞かせて頂きました。人見先輩は今はもうお亡くなりになり、私にとって大切な思い出になっております。人見先輩色々有難う御座いました。

もう1人の網元の親方の役では「庄司永健」先輩で、養成所受験で落っこどされた憎っくき「劇団民芸」新劇の大先輩でした。庄司先輩はとても良い方で
「『劇団民芸』を受けて3次で落とされました」と言うと
「誰が審査員だった?」
「奈良岡朋子さんでした」
「そうか俺が審査員なら落とさなかったのになぁ あ、はははは!」
と慰めてくれました?

人見先輩と庄司先輩とは役の作り方が全然違うのでとても勉強になったことを覚えています。

 越前海岸での撮影の後「三方五湖」に向いました。途中ロケバスが止まりスタッフの人達も下りたのでてっきり撮影をするのだろうと私も下りました。あまりに綺麗な田園風景とそこに流れる綺麗な小川につられて畦道を歩き、田圃の傍に建てられた小さな土壁の道具入れの小屋の傍でしばし佇んでいました。

第50話ボロボロの正彦。
手前後ろ向きの2人、左・枝川監督、右・大野しげひささん。

ふと気が付き引き返すと!!そこにはロケバスも他のトラックもいませんでした。

がーん!

そうですひとり取残されてしまったのです。仕方がないので多分「三方五湖」方面だと思う方向に歩き出しました。廻りは山で、平日の事もありすれ違う人も車もありません。やっと向こう側から車が来たので手を上げて車を止め「三方五湖」はこの方向で良いでしょうか?と聞くと、例の私の格好を見て胡散臭そうな顔をして

「良いんだが、あんたあそこまで歩いて行くのかい」
「はい」
「へぇ、その格好でかい」
「はい」
「ふーん、結構距離あるよ。気を付けてね」

人を狐の化けたのみたいに見ると行ってしまいました。しょうがないので歩いていると後ろから車が来ました。ヒッチハイクはお手の物で、お金がない時など新宿から実家の浦和まで乗継しながらトラックや乗用車に乗せて貰ったものです。(乗せてくれる人は皆良い人で腹は空いてないかとか、少ないけどこれ持ってけや、なんてお金をくれたトラックの運転手さんもいました)手を上げると止まってくれて、事情を話すと快く乗せてくれました。成る程かなりの距離でした。

 道路からやっと「三方五湖」が見えやがてロケバスも発見!車を下り現場に歩いて行くとチーフ助監督の田中さんが満面笑いながら「とざわちゃん、悪い悪い、気が付いたらいないんだものびっくりしたよ。皆に聞いても知らないって言うしさ。どうしたの?…どうしたのって…どう説明すればいいの?……

実は監督が良い景色なので撮れそうと思い、ちょっと下りて見たんだけれど気に入らなくて直ぐ出発してしまったんだそうです。
「三方五湖」への山の中の道、あの格好でひとりとぼとぼ歩いている石橋正彦なのでありました。

 台本の後ろに48年10月30日付けの当時の思い出が書き込まれていました。当時の正直な気持ちが書込まれていてちょっと面白い。
次回書込みましょう。お楽しみに

杜澤たいぶん。