その後のケー100は今・・・
日本中を快走し、幼い頃の私たちに夢と勇気を与えてくれたケー100はその後どうなったのでしょう?
比較的有名な話なのは放映終了後、各地のデパート巡りをした後に静岡県にある「朝霧高原グリーンパーク」に引き取られたという物です。デパート巡りをしていたケー100と「朝霧高原グリーンパーク」に引き取られたケー100が同一の物かどうかは未確認ですがグリーンパークにケー100があった事は事実で比較的最近まで放置状態であったという事です。でももはや廃棄処分にされてしまったという事です。
NOBUが支配人さんに確認してくれました。
それによると残念ながら昭和61年頃に グリーンパークで焼却処分してしまったとの事でした。
保管されてから、2年くらいは実際に動かしたり、イベントに貸し出したり していたそうですが、オイルショックの頃から、放置されたままになり、
老朽化が進み、保管する場所も無かったので、処分に至ってしまったとの事でした。
(FRPなのでよく燃えたとの事です…(^^; )
なお、グリーンパークでは当時ケー100のおもちゃ等も販売していたそうですが、
その際に、知り合いにあげたり、残りは焼却処分してしまったそうです。
(倉庫を探せば何個かは残っているかも?との事です) |
デパート巡りをしていたケー100と「朝霧高原グリーンパーク」のケー100に関しましては二天様の運営されているサイト「英雄烈伝」の中のケー100コーナーに貴重な写真と情報が掲載されていますのでこちらをクリック!
そしてもう一つ。
最終回撮影後ケー100はそのまま沖縄県の恩納村に寄贈(?)されたという話もあります。
このケー100は「沖縄こどもの国」という所にあったのは確実らしいのですがほとんど野ざらし状態で最近閉館された為処分?
処分される以前にほとんどゴミ扱いだったとの噂もあります。
私が関東に住んでいる為か沖縄のケー100情報というのは聞いた事がなかったのですがネット上で沖縄のケー100に関する文章を発見しました。
以下の文章は中笈木六様の運営する「3人共有名刺」の中の「御仕事状況(02年03月19日付)」に掲載されていた物ですがケー100に対する愛情が伝わってくる素晴らしい文章でしたので中笈様の許可を得てここに転載させていただいた物です。
きーてきピポピポ〜鳴ーらしてー♪ ……というわけで、「走れ! ケー100」話続き。
沖縄県民でウチらの世代にはすでに有名すぎて当たり前だが、実はケー100、沖縄で乗り捨てられている。
最終回でハブに噛まれて、血清を打たれるものの、そのまま海に消えてしまうケー100だったが、実際には撮影が終わった後、沖縄市の遊園地「沖縄こどもの国」に寄贈され(たという話と、勝手に撮影隊が押しつけていったという話あり……その後の状態を見ると、どうも後者の説が有力)、どこかのスクラップ工場に放り込まれていなければ、今でも朽ち果てた姿を園内にとどめているはず(最後に見たのは15年前なので、もう当てにはならないが)。
幼稚園のころ、遠足でここへ来、園内を歩きながらふと遠くにケー100が見えた時のときめきは、もう今でも忘れない。
あの瞬間、確かに私はテレビの世界に迷い込んだと確信していた。
すでに動かず、廃棄された存在だったとしても、近くに寄って見たケー100はあまりにすばらしかった。
格好いいとか、可愛いとかではなく、本当に素晴らしいと思った。
ブラウン管の中の、「嘘」の存在が、確かにそこに存在するのだ。
だから、近くまで行って見たが、そのときも、そしてそれ以降、「こどもの国」に足を踏み入れたときも、ケー100に乗ろうとは思わなかった。
触れることさえしなかったと思う。
「そのまま残っていて欲しい」と切に願った。出来れば屋根付きの展示場にでも納めて、少しでも保存してほしいと。
だが、テレビの主役だったというのに、その後の扱いはひどく、草むらの中、雨ざらしにされ、部品はドンドン無くなり、最後にはフレームだけが残っていた記憶がある。
十数年後、東京の琉球王家の末裔たちが、先祖の遺品を沖縄ではなく、東京の博物館に寄贈しかけた騒ぎがあった。
そのとき、いくつかあった言い訳のひとつに「今の沖縄には文化や遺品を大事にする感性がない」みたいな事を言っていたが、思わず首肯してしまったのはそういういきさつもある。
何しろ、この県には故・金城哲夫氏の偉業を保存する場所すら無いのだから。
情けないやら悲しいやら。
沖縄のケー100は沖縄の30代の方々にとってはかなり有名な話だという事です。
●その沖縄子供の国のご厚意により、メールで質問をしたら返事を頂けるという事になりましたので質問を送りました。
以下がその回答となります。(2005年6月12日追記・取材協力NOBUさん)
Q:『寄贈された経緯』
メインで担当されていた方が、お亡くなりになってしまっているため、当時の状況を知っている方はだれもいないとの事です。
Q:『放送された当時の沖縄での人気』
認知度としてはかなり興味をもたれた方が多かったそうですが、放送終了してからは徐々に訪れる方も減少していったと言う感じで、年齢層に関しては、大人から子供まで幅広かったそうです。
Q:『置かれたケー100がどんな感じで扱われて、何年頃に廃棄されたか』
当時、園内に子供博物館というセクションがあり、ケー100はセスナ機と一緒に展示されていたそうです。(設置状態は、半地下式・野ざらしで展示されていたとの事)
廃棄に関しては「沖縄こどもの国」を改装した際に、撤去され、行方は不明だそうです。
Q:『こどもの国では、ケー100をアトラクションとして、どう利用されていたのか?』
Q:『メンテナンスで苦労した点』
Q:『ケー100を運転して難しかった点や感想』
園内での運転等は一切しなかったそうです。(展示のみ)
Q:『当時の写真は残ってますか?』
当時の写真は現存しないそうですが、「沖縄こどもの国」設立20周年記念の時の写真は現存するそうです。
Q:『車体は廃車になってしまいましたが、運転マニュアルやメンテナンス方法を記した書類はありますか?』
存在はしないそうです。
Q:『その当時の「子供の国にケー100がやってきた!」などを告知するチラシや広告、ポスター。 ケー100が記載された当時のパンフレット、新聞記事などは現存してますか?』
現在の「沖縄こどもの国」には現存しないそうです。
当時の担当者・関係者が、お亡くなりになっていたり、退職してしまったため、追跡はかなり困難との事です。
Q:『その後、TVスタッフや出演者との交流はありましたか?』
特に無かったそうです。
ある程度予想はしていましたが、非常に残念な回答結果となってしまいました。
もうすこし早く調査していればと、悔やまれてなりません。
最後に、お忙しい中、当時の記憶をたどりに、いろいろと説明をしていただいた「沖縄こどもの国」さんに感謝致します。ありがとうございました。
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※2009年10月追記※
記録写真集内の記述にて、撮影後2台をメンテナンスの上デパート巡り後、静岡には二号車を、沖縄に三号車が譲渡された事が確認されました。
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