第5話に子役で出演されたNaokiさんの書き込みです。
 自転車少年です・・・ / Naoki  
管理人様
はじめまして!

先日、引越しの為に荷物を整理しておりましたら昔、子役をしておりました時の台本が数冊出てまいりまして、その中の一冊が「走れ!ケー100」の第5話の物でした。読み返しておりましたところ当時の記憶が懐かしく蘇ってまいりまして(ロケの宿泊先であった高台の国民宿舎からの景色や寒い朝に門司港の売店で飲ませてもらった紙コップに入ったコンソメスープの味までもが・・・)何か情報は無いかとネットで検索をしましたところ、当サイトに辿りついた次第です!今でもこうして多くのファン方々がおられる事に驚きと喜びを感じております。更に小学生(いや中学生?)だった私の恐らくリアル初恋の女性と思われる大川栄子様(本当〜に美しく!可愛く!やさしい方であり、その時の胸のときめきは50を過ぎた今でも覚えております)も書き込みをされている事に大変感激致しました。
今後も末永く本サイトを運営し続けて頂けますようお願い致します。

自転車少年
No.618 - 2011/08/10(Wed) 15:02:34


名古屋城ロケに参加されたそうです!
走れケー100に出演しました 投稿者:ユウスケさん

私は子供の頃名古屋の劇団(子役のプロダクションのようなところ)に入っておりまして、この番組が名古屋に来たとき端役で出演しました。

小学校の3年生か4年生だったと思います。
ほとんど覚えていないのですが、場所は名古屋城で、暴れる?K100から紋太さんが振り落とされるシーンがあって、紋太さんが落ちるシーンとK100が揺れるシーンは別撮りで、スタッフ4〜5人で何度もK100を揺らしていたことを覚えています。

肝心の自分が出演したシーンなのですが、「もんたさ〜ん」と叫びながら数人の子供が駆け寄っていくシーンがあって、その中の一人が私なのですが他は覚えていません。もしかしたらその1カットだけだったのかもしれません。いや確かに撮影したことは覚えているのですが、編集でカットされた可能性もありますよね。

自分自身この番組は毎週楽しみにしていたので、その番組に出られるのがすごくうれしくて、もちろん愛知編のオンエアーも見たのですが、ほんとにぜんぜん覚えていないんです。

その劇団には2年くらいいて、ローカルの番組とかちょこちょこ出ていたのですがもちろんビデオなどない時代ですので、オンエアー以外で自分が出ている姿を観たことは1度もありません。

このサイトでDVDが出ていることを知りましたので、いつの日か手に入れて子供の頃の自分のシーンを探してみたいと思います。

                                                                     2007.11/27UP


18話でケー100が走った線路の所在地が判明!
投稿者:ゆゆゆさん

18話のホームは現在のJR常磐線勝田駅に隣接する日立製作所専用線の社員輸送列車ホームです。
日立電鉄とは関係ありませんでした。

現在は社員輸送を行っていませんがホームはまだ一部が残っています。
勝田駅が新しくなってしまったので、ホームの屋根は今はないかもしれません。
しかし、昔はそのような屋根が存在しました。

追い抜く電車は国鉄403系近郊型のようです。

工場内の映像は日立製作所水戸工場だと思われます。
製作中の電気機関車も映っているようですし。
トラバーサーという横移動する機械の上に載っているようですね。
背後の赤白の棟はエレベーター研究設備かもしれません。

(2005年の3月に掲示板に書いて頂いていた情報ですが、掲載したつもりになっていて遅れました。・管理人)

ケー100の整備工場!

投稿者:辻トオルさん

こんにちは、はじめまして。
突然『走れケー100』が懐かしくなり検索してここにたどり着きました。
実は私は本物の『ケー100』を見たことがあります。見ただけでなく乗ったことも、、、
放送当時中学生だった私の住んでいた近く、世田谷の代田に「池田自動車」という修理工場があり、ここで『ケー100』のメンテナンスを行っていたのです。地元では評判で私は毎日のようにここに通っていました。工場内で数メートルですが2本のレバーを操って運転もしました。確か舵取りのレバーの片方に自転車のブレーキのようなレバーが付いていてそれがアクセルだったような気がします。
このサイトの記事にもあるように『ケー100』は3台作られたようです。内一台は撮影中の事故で廃車になってしまってと聞きました。
ベースカーの「アンフィキャット」は2サイクル混合エンジンでヘッドライトを片方外してそこから排気管を伸ばし『ケー100』の煙突から排気するように作られていました。最初の頃は2サイクルオイルをガソリンに多く入れて煙を出していたのですがカブってしまうので発炎筒を使用するようになったと聞きました。
また、水上走行のシーンでは、元々「アンフィキャット」は水陸両用車なのですがFRPで機関車のボディーを架装している為バランスが悪くダイバーが2名潜って支えていたとも聞きました。
放送終了後私はその工場の人から『ケー100』のタイヤと軌道用車輪をひとつずつ貰ったのですが実家の引越の際処分してしましました。今考ええると惜しいことをしたものです。
また何か思い出したら書き込みします。

下のURLは私のH.Pです。『ケー100』については何もありませんが、、、

http://www014.upp.so-net.ne.jp/t-tohru/

山口県
投稿者:もっくくんさん

 私が生まれたのは地上波で最後に再放送されてからずっと後に生まれたものです。
自分が住んでいる山口の回から見始めています。山口市内なんか今とかなりちがっているので
びっくりしました。
毎回見ていて面白いドラマだったので先日番組内でケー100が通った山口市に行ってみました。
 サビエル聖堂…11年前に火災で焼失してしまいました。今は近代的な建物になっています。
 山口駅…ドラマででてきた駅舎はもうありません。かなり前に建てかわりました。
 寿旅館…実在する旅館です。今はプラザホテル寿という名前に変わっています。
 踏み切り…周りの古い家はほとんどそのまま残っています。列車がやってくる方向に陸橋が
      見えますがこの陸橋もあります。ただし家具屋が横に出来たのでちょっと違和感が
      あります。あと現在あの道は一方通行によりケー100が当初進もうとしていた
      方向には行けません。
 泉都町交差点…歩道橋やちょっとだけ見える山陰堂というお菓子屋も現存します。
 湯田温泉…建設中のかめ福別館ももちろん完成しています。ここは当時とかなり異なって
      います。
 瑠璃光寺…全く変わっていません。

沖縄県
投稿者:ソーダさん

当時ケー100は沖縄でもすごい人気で後半急きょ沖縄までロケが来ると分かると
もう友達みんなで喜んだものです。
(たしか「ケー100沖縄に来る!」なんて告知ポスターが学校近くに貼ってあった。)
ロケ地は沖縄本島中部にある万座ビーチだったと記憶しています。
残念ながら当日のロケは(あの有名な海にケー100が行ってしまう最終回のもの)
行けませんでした。(というか親に連れていってもらえなかった…)
ですが当時ものすごい数の親子が見に行ったようです。
たいがい同年代の人となにかの拍子で「ケー100って知っている?」と聞くと、
「あ〜!憶えてる!撮影を見に行ったよ!」と言う声を多く聞きます。
ロケ現場までの交通渋滞がすごかったらしいです。
沖縄の地元のラジオ番組でケー100の話題をFAXした所
わざわざ番組まで当時の写真を持って来て下さった方も出て来て
私も写真を貸して頂き、スキャナーでスキャンして大切に保存?しています。
「ああ、当時はこんな感じだったんだあ〜」と思わず子供の頃のあの日に
タイムスリップして懐かしみましたねえ。(しみじみ)

雑学コーナーで書かれておりましたその後のケー100は、
やはりいろんな方に聞いてみると「沖縄子供の国」にあったらしいです。
これまた残念ながら展示されていた当時も私は見てません。
ある方の証言では園内の池の側で展示されていてその後
タイヤが無くなってブロックの上にボディーが載っかていて、
その後行ったらなんと池に半分沈んでいたそうです。。。(涙)
本人曰く、「あまりに可哀相で家に持って帰りたかった。」そうです。
もしかしたら今は池の底に眠っているのかもしれません。とても悲しいですよね。

沖縄県
投稿者:オムニバス さん

 ケー100の再放送をとても待ち望んでいました。
 当時、私は小学4年生で 流行のケー100の模型を空き缶とバルサ材などで作っていたんで、30年前の映像
を大変懐かしく楽しんでいます。その模型はもうありませんが・・・。
 また 最終ロケ地がここ沖縄だったので いまでも鮮明に覚えています。
当時見たロケの記憶から・・ペテン師に目隠しされ(いわゆるライトに黒袋)首里の染物工房にケー100が
やってくるとモップをもって待ち構えていた子供達が「ワーイ、ケー100だ、きれいにしてあげる」と、ケー100を
取り囲むシーン(わずか10秒位の放映だったと思う)を 2時間位かけてやってました。
また そのロケ場所に通じる道の途中に階段(4、5段)があって、撮影後、自力で降りれず 大人4,5人でヨイショ、ヨイショとやってました。その時見たペテン師さんは、とても優しくて色白だった。そしてケー100の走行音はパタパタパタ・・・・って感じで あまりのギャップに驚いたのを思い出します。

沖縄県
投稿者:りょうさん
放送当時、小学三年生だった頃をいろいろ思い出しました。
放送のあった翌日、学校ではK−100の話題でもちきりだったこと、
夢の中で紋太さんにK−100に乗せてもらって、
紋太さんが、「テレビではやってないけど、K−100は空も飛べるんだ」と
一緒に空を飛んだこと。それを弟に話したら笑われたことなど等です。
私は当時、K−100に夢中でした。

そのK−100が沖縄にやって来ると知ったときは天にも昇る気持ちでした。
(私は沖縄に住んでいます)
日本地図を広げ「今週はここだったから、来週はこの辺。沖縄に着くのは・・・」
などと弟を前にやっていたものです。

当時「子供がテレビに夢中になる」ことに対して
あまりよく思ってなかった両親もそんな私の思いを酌んでくれて
どこから情報を仕入れたのか(新聞報道があった?)
母が最終回のロケ現場に連れて行ってくれました。

ロケは沖縄県南部糸満市の「北名城ビーチ」で行われました。
家族でよく海水浴に出かけた場所です。

テレビで観たのと同じように砂浜を走るK−100。
テレビと同じやさしい笑顔のモンタさん。
K−100と紋太さんを目の当たりにした時は
なんだか、うれしいような恥ずかしいような不思議な気持ちでした。

意外だったのは、K−100のエンジン音がテレビと違って
当時の軽自動車の音のようだった事(2ストエンジンの事です)、
それから、K−100が実際に海に浮いた事です。
子ども心に「海を走るのは番組上の演出だ」と思っていたのですが、
実際のK−100は、なんなく砂浜から海に入り当たり前のように浮いていました。
ただ、推進力はそれほどでもないらしく、撮影現場の50メートル程はなれた
小島まで撮影スタッフの方が二三人肩まで海に浸かって押していました。

その小島で行われる紋太さんと節子さんのラストシーンの撮影を
眼を凝らして見ていました。
(今回の放送を観て気づいた細かい事ですが、ラストシーンの夕日に向かって行く
K−100のカットと紋太さんと節子さんのカットは別撮りのようです。
方位的にロケ地の北名城ビーチでは水平線に沈む夕日は見れません。K−100も
あれほど岸から離れてはいなかったし。

訂正(2004.5/4追加)
最終回のロケ地の沖縄県糸満市の北名城ビーチからは方角的に夕陽は見えない、旨の
書き込みをしましたが、あれは間違いでした。夕陽はばっちりキレイに見えます。
本日確認してきました。最終回の夕陽はあの海岸での夕陽です(だと思います)
大した関心事でもないかもしれませんが間違いは間違いですので訂正させて頂きます。
ご迷惑おかけしました。ごめんなさい。


石川県
地元民としての発見 投稿者:カレー大魔神 さん

他の地域の話だと流して見てしまっていましたが、
行きと帰りにケー100が武家屋敷を通っているのを見て、
(良い意味での)ドラマでの「省略」の仕方が
垣間見えたような気がしました。

というのも、実は武家屋敷は繁華街に隣接していまして、
その付近に九谷焼の工房はちょっと見当たらないんですね。(^_^;)
もちろんしかるべきところに移動する過程なんかを
いちいち描いていたらドラマがかったるくなるばかりですし、
見る側もにかえって「金沢らしくない」ととられかねませんから、
このくだりはむしろ、短時間で地方の雰囲気を表現するうまさに
感心させられました。

早苗の「友達の家」である「あめの俵屋」は、今でもあのままです。
使用人が住み込みで働いているかどうかは、ちょっと分かりませんが(笑)。

それと、通学でハラハラさせられた身としては、
ノブちゃんが汽車に乗れたかどうかが個人的に心配です。
あのあたりはどの時間も道が混んでいるので、
バスでも10分では駅に着かないことが多いんです(笑)。


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