昭和48年(1973年)7月20日(金) 読売新聞より
「走れ!ケー100」人気も“走る”
子どもたちに大モテ 人柄うける主演の「大野」
○キャプション
張り切る大野しげひさ

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TBSテレビ系「走れ!ケー100」(金曜午後7・30)がジワジワと視聴率を上げてきている。いろいろな要因があろうが、主演の大野しげひさが、子供たちに絶大な支持を受けているのが大きいようだ。

「仲間みたい」と慕われ
その大野、「僕は子供たちにどういうふうに思われているんでしょうね。ケー100≠ノは少年たちもいろいろ出演していますが、彼らの呼び方は、まず大野ちゃん=B慣れてくると、役の名前の紋太をとっておい、モン太≠ネんていうんですよ。ぼくも、もう33なんですが、まるで彼らの仲間みたいで・・・・・・」と苦笑いする。

自宅にも子供たちが気楽に遊びに来て、勝手なことを言っていく。大野の車を見て「大野ちゃん、もうかってんだろ、外車にしろよ」とか「百科事典があるんでやら、あれでも勉強してんだな」などとかまびすしい。大野が気さくに、小まめに相手になってやるせいもあろうが、これだけ子供に慕われるタレントもまた珍しい。

気楽な面も多分に

ウイスキーのCMで顔を売り、男性としてはまれなCM出身のテレビタレントとなった。主に司会で活躍、現在も「23時ショー」(NET系)や「超特急ファミリーマッチ」(フジ系)も引き続き担当しているが、ドラマのレギュラーはこの「走れ!ケー100」が初めて。

「CM出だからでしょう。ふだんでもやることがオーバーですから、演技やセリフは押えめにと気をつかっているんです」と、自分の演技の上での短所もわきまえている。

だが、「自分で将来どうなっていくのかよく分からない。何でもやって、少しずつ不得手、不向きな分野は落としていきたい。結局は見ている人が決めてくれるでしょう」と気楽な面も多分にある。

実を結ぶ苦労人の味

いかにも幸運児ですべてに順調のように思われる大野だが、下積みが長く、苦労をしている。
長野県で町工場をやっていた大野の父が経営不振、父に頼れなかった大野は上京し、夜間高校に通いながら、何十もの職業を経験。
ビラはり、コールタールの詰め替え労務者、トタンの屋根ふき、あんこ屋の使用人、お茶の行商、ミュージックホールのセリフのない劇団員、モデル・・・・・・。

お茶の行商では学生服を着、「家が静岡なのでこれを学資にしろと品物で送ってくるんです」と泣き≠やって主婦にとり入った。話がうまく、警戒もされない、彼本来の性格や顔がモノをいった。茶の間に支持される素質が昔からあったのだ。

ミュージックホールでは、根上淳に似ていると、わりに重宝されたりした。セリフがほとんどない役だから、動作で自己主張して、それが今日の演技者にもつながっている。

根性を認められて

男性モデルといえばかっこいいが、うしろ姿とか、時計のアップのCMでの腕の役とか顔の出ないモデルばかり。しかし人のやりたがらないことをやったことが「あいつは根性がある」とかわいがられ、松下電工やサントリーのCMにも起用されることとなった。

ほんの3、4年前までは、ふろ付きのアパートに住むことが夢だったという大野だが、今は三鷹市に庭つきの家。
コメディアンや俳優などは画面での顔と、他の顔がまるで違う人が多いが、大野はテレビの印象とまるで同じである。
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