「走れ!ケー100」 放送履歴
当時の新聞から紹介記事と関東圏における放送履歴を掲載してみました。(2002.5/5UP)
新番組の“前夜祭”
発車オーライ・走れ!ケー100(TBSテレビ後7・30)
来週スタートする「走れ!ケー100」は鹿児島ロケを皮切りに撮影が進められているが、今夜はこの新番組の前夜祭として単発番組の形式で放送する。
スタジオに招かれた男女約百人の小学生が、それぞれ男性、女性チームに分かれて、玉入れなどいろいろのゲームを競う。
司会はハナ肇。男性チームのキャプテンは大川栄子、応援団長は林家三平、女性チームは大野しげひさ、久里千春。
(昭和48年4月6日(金)・毎日新聞(朝刊)のTV欄、番組紹介記事より)
走れ!ケー100 鹿児島から日本縦断の旅(TBSテレビ後7・30)の新番組。
“ケー100”とは実在した蒸気機関車KEI-100をモデルにした水陸両用機関車のこと。
鹿児島から北海道夕張まで日本縦断オールロケで制作するヒューマニティーあふれるドラマ。
第一回は「汽笛一声青い空・鹿児島の巻」。
鹿児島のスクラップ工場の片スミで解体の日を待っている“ケー100”をSLマニアの少年・隆(長田伸二)が発見、機械に強い青年・紋太(大野しげひさ)と二人で復元した。
※ケー100に乗った紋太さんが身を乗り出しVサインをしている有名な写真に
『桜島を背景に紋太(大野しげひさ)は一路北海道へ』のキャプション付き。
(昭和48年4月13日(金)・毎日新聞(朝刊)のTV欄、番組紹介記事より)
放映履歴
●データは朝日新聞縮刷版より・あくまでも関東圏のみのデータになります。
放送期間 |
放送日時 |
備考 |
昭和48年(1973)4/13~昭和49年(1974)3/29 |
TBS・毎週金曜夜7:30~8:00 |
本放送 |
昭和49年(1974)12/26(木)~昭和50年(1975)3/6(木) |
TBS・月~金曜、夜6:00~6:30 |
最初の再放送。 |
昭和52年(1977)4/4(木)~6/14(火)
※4/11、ゴルフ放送 |
TBS・月~金曜、朝6:25~6:55 |
この再放送を期に早朝に子供番組枠が復活する。 |
昭和55年(1980)6/6(金)~7/18(金)
※6/12・13・16・17・18、政見放送 |
TBS・月~金曜、朝6:20~6:50 |
27話まで放送。
※9話が未放映。 |
昭和56年(1981)1/5(月)~2/5(木) |
TBS・月~金曜、朝6:25~6:55 |
28話から最終回まで放送。 |
平成14年(2002)4/3(水)~平成14年(2002)9/29(日) |
CSファミリー劇場・毎週水(17:30)、木(9:30)、日(9:00) |
1話を週3回づつ放送
(1~26話) |
平成14年(2002)10/9(水)~平成15年(2003)4/18(金) |
CSファミリー劇場・毎週水曜1:00(木曜の1:00)と金曜の朝8:30の2回放送に変更。 |
1話を週2回づつ放送
(27話~51話) |
平成16年(2004)3/6~3/29 |
CSファミリー劇場
3/7(日)午前3時~5時(1~4話)
3/14(日)午前3時~5時(5~8話)
3/15(月)午前0時~6時(9~20話)
3/21(日)午前2時半~5時(21~25話)
3/22(月)午前0時~6時(26~37話)
3/28(日)午前3半時~5時半(38~41話)
3/29(月)午前0時~5時(42~51話) |
週末の深夜に一挙放送 |
●今回改めて調べてみまして地上波再放送がたったの3回しかされていなかったいう事実に驚かされます。
※55年と56年の放送は合わせて1回に勘定しています。
人と話すと「ケー100は夕方見てた」という方が多いのでおそらく最初の再放送を見ていた(覚えている)人が多いのでしょう。
昭和52年の再放送はある日たまたま朝TVをつけたら初めて海上を走るケー100(広島)が放送されていて翌日から早起きになりました。
昭和55年の再放送時、朝っぱらからTVの前で待ちかまえていて第1話をカセットテープに録音していました。そしておじいさんと再会を果たしていきなり終わってしまったのに驚いたので25話で放送終了と思っていましたが計算すると26本放送されている様なので勘違いだったのかも知れません。
昭和56年の再放送で改めて1話から最終回まで放送されたと思っていたのですが期間が短すぎるのでこれも勘違いだったみたいです。しかし沖縄まで行ったという記憶はあるので(本当か?)多分前回の続きからの放送だったのだと思います。(年明け最初の月曜から放送されているので気づくのが遅れ途中から見ていた為以前の放送と記憶がゴチャマゼになっているみたいです)
それにしても24本しか放送されていないので前回の放送と合わせても50本、適当に飛ばされた放送だったのかも知れません。
※55、56年の再放送についてどなたか覚えている方の情報をお待ちしています。
(2019年12月22日追記)
昭和55年度放映は1~27話(第9話が未放映の26本)で、
昭和56年度は28話から最終回までの24本であると断定いたしました。
その経緯はこちらで。
付記・昭和48年(1973年)という時代について
今回昭和48年の新聞を見ていて思った事があります。ケー100の話をしていると「昔はのんびりしていて良かったよねぇ」みたいな事を言う方がいますがこの作品の雰囲気が決して昭和48年という時代の空気を反映している物ではないという事です。
昭和48年はどちらかと言えばオイルショックによる物価の高騰とインフレの嵐、鉄道の今とは比較にならない容赦ないストライキ、頻発するハイジャック、表面化する公害問題等という結構荒れてた時代です。だからこそ制作者達はこれから大人になる子供達が見る番組のつくり手としてあえてのんびり、ゆっくり、そして他人の為に一生懸命な紋太さんが主人公の「走れ!ケー100」という番組を作ったのだと思います。(そういう逆説的な意味ではやはり時代を反映したドラマと言えますが)
雑学コーナーTOPへ
|