当時、私は劇団ひまわりに所属していたのですが、マネージャーさんが付き添えないということで、わたしの母が、マネージャーさんの代わりに写真の男の子2人を連れて、4人での旅でした。
熊本に着くなり男の子がけんかを始めたとか、熊本駅で朝から焼き芋買って食べたとか…そんな変な事ばかり覚えています。
(ひまわりで私は、ケー100にも出演していた尾美としのりさんや柿崎澄子さんと同期で、一緒にレッスンをしていました。佐瀬陽一さんともよく仕事をしていました)
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泊まったのは「天草国際ホテル」という、海がすぐ近くにあってとってもステキなホテルでした。何泊したとかは覚えてないんですけど…ホテルの売店でいちごの絵のついた、つめ切を買った(今でも愛用)とか、ここでも変な事ばかり覚えています。 |
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牛深(うしぶか)という所で撮影をしたと母が言っていましたが、どこのシーンか思い出せないのです。NHK朝の連ドラ「藍より青く」という番組の舞台になった所だそうで、宿泊した天草国際ホテルでこの「藍より青く」とかかれたオルゴールを頂きました。(ホテルで撮った写真でナオコが右手に持っているのがわかりますか?)母は縁側で絵を描いているシーンだというのですが、あれは崎津ですよね。天主堂が写っていましたから・・・。 |
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ロケは毎日、朝早くて、暗いうちから出発するのですが、ロケバスの中でウトウトしていた私は、海岸沿いを走ったとたんに眠気がふっとびました。朝日に照らされた海がキラキラで、ナオコ、海に見入る…という感じでした。 |
(後日当時の撮影の集合時間を書いたメモがでてきたのですが、それによると、12月9日から12日までロケをした事が解かりました。朝早くからと前に書いたのですが、7時30分ホテル出発というのが一番早い時間でした。この時間の出発で朝焼けの海が見れたのか不思議ですが、はっきりと覚えているんですよね。
でも、もっと早かったと思っていたので、やはり30年前の記憶というのはあてにならないのかな…と思ってしまいました。同じ年に雪印のCM撮影で小豆島ロケにいっているのですが、写真の男の子2人とその時も一緒だったので記憶が混ざってしまっているのかも知れません。) |
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撮影シーンで覚えているのは、縁側で絵を描いてるところとか、ケー100にかぶされた袋をとるシーン…。袋をとるタイミングが難しくて、何度も撮った記憶があります。
それからイソップ製菓さんのシーンでは、たしか、紋太さんが撮影中に車のドアに指をはさんでしまったのを覚えています。(こんな事紋太さん自身は覚えていないでしょうね)紋太さんはとてもやさしくて、子役の私達や母にまで、「寒くないですか?」といつも声をかけて下さったそうです。 |
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後は教会が美しかった…私はキリスト教の信者ではなかったけれど、崎津天主堂を訪れて、なぜかキリスト教に憧れてしまい…この時の影響で、高校、短大とキリスト教の学校(桜美林)に通い聖書の勉強をしたりしていました。このように後の私の人生(?)を左右してしまう程、ケー100の旅は、10才の私には刺激的だったのです。高校の修学旅行が天草で、天草五橋をまた訪れる事ができました。天草には縁があるみたいです。
殉教公園のシーン撮影の時、私達は観光をしていたみたいです。わたしはよく覚えていないのですが、水族館に行ったり教会を見たりしていたようです。崎津天主堂の他に教会を見たのは覚えているのですが名前は思い出せません。 |
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30年ぶりに自分の出演したエピソードを観て、まず画像が綺麗で驚き、そして30年前の自分との対面は不思議な感じがしました。自分を見ているような違う子を見ているような不思議な感覚でした。
顔は写真で見られるけれど、声を聞く事はなかなかできないので今回は声を聞く事ができて本当に嬉しかったです。家族も子供の頃の声なんて覚えていないので、ナオコがしゃべるたびに大騒ぎです。それにしてもなんて早口なんでしょう…。こんな風に台詞をしゃべっているとは思いませんでした。恥ずかしい…^_^;ケー100の走っている姿は懐かしくて涙が出そうでした。 |
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そして当時の自分の頑張っている姿を見ることができて感激してしまいました。ラストシーンの自分の笑顔が気に入ったりして…。 |
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●30年後のナオコ(橋本 美佳) |