第17回東京トイフェスティバルin
『走れ!ケー100 復活祭』レポート
 
 2007年10月28日、東京有明のビックサイトで行われた日本最大級のおもちゃのイベント『第17回東京トイフェスティバル』において『走れ!ケー100復活祭』が行われました。※写真協力・青島文化教材社さん、C100さん。
会場の一角にはケー100のブースが設けられ、青島文化教材社さんから発売の『1/43フィギュア』の先行予約を始め、Tシャツやソフビの販売、当時物や貴重なスナップの展示に合わせゲストによるトークショウが行われました。

イベントの開場は朝10時でしたが、私は展示用に橋本美佳さんからお借りした台本を持って、コレクションを持って来てくださるC100さんと朝8時半から会場に入って皆で並べていました。

スチール類はパネルで貼られていたのがプロデューサーの佐賀邦夫氏所蔵の物。ケースに入っていたのが青野監督所蔵の物です。

※当日展示されていた当時物のグッズ(レコードや
絵本、ソフビ)はほとんどC100さんのコレクションです。
↑この大判のスチールは主演の大野しげひささん所蔵の物です。
 

▲会場で販売されたマイタン社製のソフビ。
(トイフェス限定カラー)

▲アオシマの模型を見てる子供達。

▲佐賀邦夫氏のデザイン画をベースにしたTシャツ。
   背中には「走れ!ケー100」のロゴ入り。
 
パネルで展示されていた写真はほとんどDVD「行くぜ!沖縄編」のブックレットに掲載され見る事ができます。
スチール自体珍しいケー100ですが、特に珍しい写真を紹介すると以下の物です。
▲劇中ではありえないケー100の2ショット! ▲2枚ある内、水上での紋太、節子の2ショットはブックレットにも未掲載でしかも劇中では1度もなかったシチュエーションの貴重な1枚。
 
でも佐賀氏のお話だと現場で番宣用にスチールは大量に撮りまくっていて、そのネガは全部C.A.L.様に渡してあるから「探せば出てくるんじゃない?」との事でしたが……。
もしネガが存在するなら(しなくてもプリントがあるなら)同人誌でいいから写真集の企画でもできないもんかな〜。

そして13時からは青野監督と橋本美佳さんのステージ上で第45話を上映しながらの生トーク!
 大画面で上映されるその前で実に34年振りのナオコちゃんと監督の再会!この2ショットを見られただけでも会場に来て良かったと感無量の瞬間!
しかも監督はうちのナオコちゃんのページをプリントアウトして持ってこられていたのには照れくさいやら嬉しいやら。
ステージには上がりませんでしたがプロデューサーで実質原作者でもある佐賀邦夫氏も会場にお見えになり、ステージの様子を楽しそうに観ておられました。
 そしてトークの後はアオシマさんの会場予約抽選品の銀メタケー100の抽選を監督と橋本さんがそれぞれ10の位と1の位を引き、合わせた番号が当選という事でその場で当選者に渡して約30分のステージを無事終了。
 
実は橋本さんがステージに上がるのは急に決まった事で、軽い打ち合わせのみのほとんどぶっつけ本番のステージでしたが、そんな事を感じさせない息の合いようでした。

そしてステージ後も監督や橋本さんはサイン責め。
特に監督が喜ばれたのは紋太のコスプレをして来てくれた子供の存在です。
やはり番組自体が子供番組ですから、34年の時を経て子供に受け入れられたのが嬉しかったようです。

その後、監督と佐賀氏と話す機会もあったのですが、いかんせんステージの真ん前がケー100のブースであった為に、ステージの音がうるさくてほとんど聞こえなかったです。

一つ印象的だったのは「今はこういう作り方で番組は作れないでしょうね」と言った所
「面白い物を作ろうと思えば作れるんだよ」
と言い切られてしまった事です。監督まだまだお若い!スペシャルドラマでドタバタコメディーでも撮って欲しいと切に思いました。
 
 世間的にはマイナーな番組と位置づけられる「ケー100」ですが、34年もの時を経てこういうイベントが行われ、これだけの資料やゲストの方が集まったのは、DVDやアオシマさんの模型の発売等で関係者に連絡が付いていた事も大きいでしょうが、主催者の方々の尽力によるものが一番だと感謝に絶えません。

「これが最後ではありません、これからもケー100関係は盛り上げていくつもりです」と主催者の方もおっしゃってました通り、K-100は2007年に再出発を果たし、今後も旅が続きます。

とにもかくにも34年の時がまったく感じられない監督のトークや観客の反応等その場に居られて、又サイトを作ったおかげで少しでも役に立てた事が幸せになるイベントでした。

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